THA BLUE HERB
ILL-BOSSTINO
1万字over ロングインタビュー

 素晴らしい!としか言いようのないアルバム『TOTAL』。異論はないだろ?

グループのスポークスマンであるILL-BOSSTINO(Rap)と話をして分かったことがある。才能のある人間は山ほどいる。でもそれだけでは高みには辿り着かない。その才能を引き出す才能のあるものだけが【本物】と呼ばれるのだ、ということを。

ライター歴35年の自分であるが、HIP HOPのアーティストへのインタビューは実はこれが初めてだった。初心者ならではのとんでもなく素朴なことも質問しているが、丁寧に答えてくれていることに人柄が出ているだろう。最初がILL-BOSSTINOでよかったな(笑)。

最近は自転車に乗る時このアルバムをいつも聴いている。そうすると見慣れた札幌の街がもっと色鮮やかに目に映るのだ。イカシタ気分になれるのだ。こたえられない気持ち良さなんだ。もちろん甘いことばかりじゃない。むしろビターな色彩の方が強いアルバムかもしれないが、その分エネルギーが湧いてくるのだ。58歳の僕がそうなんだから皆はもっとそうだろ?

皆の心の中に自分だけのTHA BLUE HERB(=誰かに何かを伝えたいと願う強い気持ち、あるいは“負けたくねぇ”という叫び) があるはずだ。それを探し出せ!そしてその気持ちを唄わせろ!そこから輝かしく新しい自分の一歩が始まる、と信じて。

(注1:インタビュー中ではILL-BOSSTINOさんのことをBOSSさんと表記しています。

 注2:インタビュー中、BOSSさんは自らを「僕」あるいは「俺」と言っていますが敢えて統一せずにそのままにしてあります。そこに「想い」があると思うので。)

                                  取材・文/ 大槻正志(ペニーレーン24)

                            

●5年ぶり4枚目のアルバムということですが、これくらいのペースがちょうどいいのですか?


そうですね。自主レーベルなので自分たちでリリースのタイミングを決められる良さもあって、更にはライブはとことんこれ以上ないってとこまでやっちゃうんで、ライブとアルバム制作は同時にはできないので、それが理由です。ライブを3、4年かけてやりきっちゃうまで次には行かないというスタンスなんで、自然そういう感じになっちゃいます。


●代表取締役でもあるわけで(笑)、それで金銭的な面はうまくいくんですか?


ライブやっている方が赤字になる危険は少ないですよ(笑)。


●北海道に住んでいるということもあるのでしょうか。東京にいると5年に一枚というペースはヘタすると許されな、、、、、


許されないかもしれないでしょうね。自分たち自身の成長した過程や結果を全部注ぎ込んだものがアルバムなので、シングルだったら一週間程度でできちゃうけど、5年くらいによって変化してくる見え方が大事で、だからアルバムごとに言っていることは微妙に変化するだろうし、同時に変化しないものもあって、そういうものを明らかにするには4、5年という時間は必要ですね。


●このアルバムの実質的な製作期間は約1年ということですが、この5年間の作品作りの集大成でもあると。


そうですね。ライブでのMC自体も僕にとっては「作詞」だと思っているんですよ。なので作詞活動はしているんだけど、それを発表するのが作品ではなくライブ会場だ、という感じなんです。これ以上歌う弾がないというか、同じことの繰り返しや「焼き増し」になりつつあるな、という危機感を持った時、ライブの終点が見えてきた時点でそろそろアルバム制作にかからなきゃって気になりますね。


●「焼き増し」って言葉が出ましたが、長く音楽を作っていくと「焼き直し」というのかな、自分で過去の自分をコピーしているような気分になってしまったり、そういう作品になってしまったり。それはもちろん良いことではないんですがそういう悩みを持つアーティストって実は多いんですね。ヒット曲を持っている人は特にその「匂い」を求められることが多いし、作家性と商業的なもののせめぎ合いに苦心する人は多い。


定番の曲もあるし、それなりにヒットした曲もあるにはあるんですけど、僕らを15年間追い続けてくれた人って、基本アルバム・アーティストだという見方や意識が強いんで、単体の1曲に対してのプレッシャーってあまりないですね。それよりは5年に一枚というアルバムの中で、自分の成長であったり音楽的な進化ってものを、10数曲って単位でどう見せるかって事の方に、僕もO.N.Oも比重を置いて考えている。


●今回歌詞に引っ張られたからなのか、サウンドの力強さが増しているように感じました。BOSSさんから見てO.N.Oさんの5年間、それはTHA BLUE HERBの5年でもある訳ですし、個人の過ごした5年でもあるわけですが、どのように見ているんですか?


多分ね、彼のこの5年間で変わったことと言えば、子供が生まれたことが大きいんじゃないかな。音楽に対する取り組み方もすごく変わったし、より職業化・職人化していったというか。僕らは結婚したり子供が出来たりという変化を肯定的に捉えている。そこで見える新しい景色ってものにチャレンジしていかないと、逆に「焼き直し」になってしまう。結婚でも離婚でも、誕生でも死別でも、人生における変化の全てが前を向くインスピレーションになっていくものだと信じてる。


●職業化することって良いことなんですかね?


言い方を変えればプロフェッショナルになる研ぎすまされ方っていうニュアンスかな。後、多分ね、「クラムボン」と一緒に曲を作らせてもらったことがあるんですけど(09年11月「あかりfrom HERE~NO MUSIC,NO LIFE~」)、その時に、クラムボンの曲の作り方、キーというものを大事にしてそこから誘導していくというか、そこは一般のHIP HOPの作り方とは違うんですけど、そういう作り方にO.N.Oは思いっきり目覚めたというか、違う作り方を探っていって形になったという感じだと思う。僕の感情やリリックにどう流れをつけて、どうリスナーを惹き付けるか、どうクライマックスまで持って行くか、みたいなね。すごく気を使って作っていたと思う。ただのループではなく、ラップを乗せる前から既に音楽として成立しているというね。そんな作曲の面でも音の鳴りの面でも彼の音楽的成熟度は本当にすごいっすよ。


●歌詞を書く作業と、サウンドを作っていく作業というのは、どこかで持ち寄るわけですよね。O.N.Oさんのサウンドを聴きながらリリックを考えるんですか?


せーの、で持ち寄るんです。僕も彼もお互い7、8曲分作って持ち寄るんですけど、合うやつは合うし、合わなかったのをまた僕が書き直したり、そのために彼がまた作ったりして埋めていくんです。


●例えば今まで使わなかったような新しいコトバが出て来てO.N.Oさんが刺激を受けたり、逆にO.N.Oさんのレンジが広がっていて歌詞作りのケツを叩かれたりって感じですか?


そうそう、まさにそれの繰り返しだね。でもね、昔は、せーので持ち寄って合わせて、仮に多少不協和音的なものがあっても、それがスリルで、貫いちゃうみたいな作り方をしていたんですけど、それはそれでやり尽くしちゃったんでね。技術的に合わせることも出来るようになったんで、


●O.N.Oさんのスキルアップも人間としての幅もそうでしょうけど、レコーディングスタジオのエンジニアさんのスキルアップというのも関係が?


そう、それは間違いないです。江別にある「スタジオ・スマッシュ」ですが、僕らの1st.のレコーディングが彼らのスタジオにとっての初レコーディングであり、同じ時間をかけて成長して来ているんで。O.N.Oのやりたいことに応えられるようにエンジニアもレベルが上がっているんで、そういう環境があるというのは幸せなことです。


●新しい血を入れながら変化していくという方法もあるけれど、一緒の場所から進んでいくという共有感を持ってるというのも素敵なことですよね。


そうですね!やっぱそれがHIP HOPのメンタリティでもあるんです。地元に根ざして地元を代弁して地元をリプレゼントするというか。それは普通の職業ミュージシャンとは違うと思う。


●それはニューヨークのブロンクスで生まれたというHIP HOP文化ならではのものなんですか?


僕はそう思っていますけどね。僕らはそこが好きだった。ニューヨークの連中のやり方を見てカッコイイなと思ったし、東京の芸能プロダクションに入って上手くやるっていうのではなくて、地元でスタジオ作ってどんどんどんどん一緒に向上していく、そこが楽器も弾けない俺らにとっての希望だった。


●すごい初歩的質問ですが、同じニューヨークといっても、ソーホーとかのダウンタウンから生まれた音楽と、ブロンクスでヒスパニック系から生まれたものと、もっとブラック的なハーレムあたりから生まれたものと、街自体がちがうじゃないですか、音も違うものなの?


昔はね、微妙に違ったんですよ。あくまで俺の主観でしかないですけど、今はグローバルというのかな、みんな同じっすわ。全然おもしろくないんだけど。あんなに狭いエリアなのに、ブルックリン、ブロンクス、クイーンズって中でも実はスタイルって違って、俺の見た限りで言うと、ブロンクスっていうのはブラックミュージックが根っこにあり、クイーンズって割とリリシストが多い感じ。ライムのスタイルがちょっと違って。ブルックリンに行くとちょっとレゲエっぽくスモーキーになるっていうか。ざっとですけどね。微妙に違ったんですよね。それは94、5年の頃の話で、それからHIP HOPはビッグビジネスになっちゃって、さっき言った“地元を代表して”っていうよりも、もっと派手に売ろうぜ、みたいになっていったんで、僕もちょっと離れて今はあんまり分かんないですけど、、、。でも今でもスパニッシュの連中のHIP HOPと、黒人のやっているHIP HOPは少し違うけど、でも昔とは違いますね。


●でもニューヨークは好きなんでしょ?


大好きですね!


●ニューヨークの街で自分たちの音楽を聴き直すってことはしないんですか?


しますよ。今年も2月に録った音を持って行って、ずっと街で聴いてチェックしたりしてました。僕は今のHIP HOPより、もっと時代的に前の、ニューヨークダンスミュージックのシーンが好きなんで、ディスコとかロフトとかガラージと括られている音楽が好きなんで、それは「PRECIOUS HALL」の影響なんですけど、そういうところに遊びに行きますね。


●HIP HOPに親和性のない僕からみると、HIP HOPってファッションと密接だと思っていて、BOSSさん達も札幌のブランドとコラボしていたりはするんですか?


全くないですね~。俺はファッションも嫌いじゃないけど、基本はもっと音楽だけで勝負したいな、って勝手に思っている方なんで。自分等でツアーT—シャツとかは作るけど、最先端のファッションに身を包んでいるわけでもないし、ヴィジュアルで攻めていく分かりやすいHIP HOPではないんで、ある種異端児かもしれませんよね。だから俺らが出始めた時は「こんなのHIP HOPじゃない!」ってよく言われたし、俺らがロックのミュージシャンの人達に受け入れられていったというのは、そういうのも影響しているかもしれない。より音楽と言葉として評価されたっていうのはあるかもしれないですね。


●でも、さっき雑談で忌野清志郎さんの名前も出ましたが、硬派なロックンロールをやろうとは思わなかったんでしょ?スキームとしてはHIP HOPだったんですよね。


そうです。それは間違いない。


●でも精神的な意味と言うか、リリックの表現ではHIP HOPのスキームとは違うものを目指したということですか?


よくしゃべるんですけど、リリックだけで言えば、HIP HOPのメインストリームの中では特異なんですけど、音の作り方という点でも、ネタをサンプリングして作るというのとも違う。さっきも言ったけど「こんなのHIP HOPじゃない!」って言われたけど、気にしちゃいなかったけど、結局ね、HIP HOPというのはオリジナルかどうかなんですよ、ハッキリ言って。そこが一番なんですよ。そう考えると俺たち程オリジナルなやつはいない、というか。つまりそれは、俺たちの孤独を深める原因でもあったけど、自分たちのアートを際立たせる要因でもあったというか。俺たちの“突然変異”っぷりが。


●あぁ。今すごくストンと腹に落ちたんですけど、元々サンプリング文化だったんですよね。


元はね。そうそう、そうなんですよ。


●そこを敢えて通らずオリジナルを追求した結果が今のこの形になるなんですかね。


そうだと思いますね。もちろん僕のルーツとしてあるのは90年代初頭のHIP HOPだし、すごく影響されているし、それがあったから始めたし、いろんなものをサンプリングした結果知らないうちに自分のものになっているんだけど、でもやっぱりある時から、HIP HOPってラッパーなら人生を説くわけじゃないですか。偉そうに。それって自分より年上の連中が、自分より人生経験持っている連中が言うんだったら聞けるんですよ。なるほどって先輩の話を聞く。でも自分が年とっていって、ニューヨークのラッパーが25で僕が30だったら、悪いけど25のガキに言われたくないから、みたいな。僕の場合はそうなってきて離れていったんです。


●メインストリームとは違うところを頑にやり続けて来れたというのは、東京ではなく札幌に住み続けているから、なんですかね?ロックの文脈だと、地元に住み続けながら全国的に音楽をやるというのは「モンゴル800」以降なんです。でもTHA BLUE HERBはそれよりも前からなんですよね。


彼らはスゴイと思いますよ。さっきの「かりゆし58」も沖縄在住だし。(注:6月に札幌で「かりゆし58」のライブがあった時、ボーカル前川真悟は僕に「もっとも尊敬している人はTHA BLUE HERBなんです。去年JOIN ALIVEのバックステージで初めてお会いして話せたんですが、いやぁ最高の方でした!」と興奮気味に話してくれ、それをBOSSに伝えたのでした)、今は僕らがそうし始めた15年前と違ってインターネットがあるから、逆を言えばどこに住んでいたって関係ないじゃないですか。でも15年前、札幌に住んで全国的に音楽活動をやっていこうと決めた無謀感って、今だから笑えるけどさ(笑)。でもね、あの時もね、「CLUB GHETTO」から始まり「PRECIOUS HALL」を知り、札幌だけで聴ける音楽の面白さをだんだんと開眼していた時だったので、東京なんかに行ってダサイ奴らと交わる気はねえよ!みたいなね。こっち(札幌)の方が全然スゴイよ、って当時は勝手にそう思っていましたけどね。今はあれからまた世界も変わって、東京にも面白い人や音楽がある事も知りましたけどね。


●またまたすごい初歩的な質問なんですが、「CLUB GHETTO」の凄さって何なんですか?


やっぱり自分がHIP HOPを知った所だからルーツっすね。すげえおっかない先輩もいたし、すごいDJがたくさんいたんですよ。その方々のかける音楽をたくさん知っていくに従って、HIP HOPからSOULとかFUNKとかに時間をかけて入っていった。ダンスクラシックスとかそういうものにも触れていった。でもそれと同時に現行のHIP HOPがさっき言った理由でだんだん子供っぽく見えてきてしまい、だんだんハマれなくなってきた、そういうことが重なった時代でした。そういう昔の音楽にハマっていって、その旅は今でも続いているんですけど、そうなったら、メインストリームから離れていようが関係ないんですよ。はなから構っちゃいないんです。


●クラシックって、そのミュージシャン達って、ものすごく乱暴な言い方になりますが、鳴らしたい音があり言いたいことがあるから音楽をやるっていう突き動かされ感があって、それが原点だったと思うんです。そういう意味で言うとBOSSさんのコトバっていうのも、言いたいことがあるからコトバがあるんだし、それもインナーに向かっていくコトバよりも今回は外に向かって発信しているコトバが多いように思います。だからコトバがどれも強い。


間違いないですね。


●鼓舞するみたいな。それがアガルっていうニュアンスなのかな。


この5年の間、3年半やっていたライブも影響している。どっちみちライブに戻っていくわけだし。目の前にいるお客達の前に戻っていくわけで、そこに向けてどうメッセージを出していくか、ってこともあるし、自分たちよりもハードな目にあっている方達は去年たくさんいたわけじゃないですか。
そこに届けるためにメッセージはどんどん能動的というか外に向いて投げ掛けるかたちになっていく。それが自然でしたね。


●こうやってインタビューをさせていただくと、昨年秋以降に発売されたアルバムというのは製作期間が3.11をまたいでいることが多く、アーティスト誰もが言うのは、表現者である以上3.11の悲劇を避けて通れないと。それによって否応無しに作る音楽が変わったと。この『TOTAL』にもその影響下にあるリリックもありますが、2012年に作られるべくして作られた作品ということですよね。


そう思います。そういう状況が作らせたとも思う。


●過去の作品よりもそういう時代感は強いんですか?


そうです。毎回毎回アルバム作るときは自分の見える景色を歌っているに過ぎないんだけど、やっぱり1枚目や2枚目は自分らの場所を作るということに力を注いでいた。自分らの居場所をどう作るか、自分らのスタイルをどうやって広めるかってことにエネルギーを注いでいて、3枚目位から視野が広くなったというか、いつまでも“俺のスタイルはカッコイイだろう”なんてだけを歌っていてもしょうがない、やり尽くしたとも思って。自分の場所を得てそれなりの収入も得た人間がそんなことをキャンキャン歌っててもしょうがないって。かえってカッコ悪いみたいな。だから自分の変化ってものを楽しんでいる感覚は強いですね。誰かに指図されて音楽を作っているアーティストとは違うし、何度も言いますが、自分の成長なのか退化なのか分かんないけど、年とともに進んでいく過程をアルバムの中に落とし込むというのがテーマなんで。


●政治的なところにも踏み込んでいった歌詞もありますが、ここ数日の消費税値上げに関するドタバタなニュースもあってMCのネタが向こうから飛び込んでくるし(笑)。


さっきも言ったけどHIP HOPって音楽は世の中がどうしようもなくなればなるほど強くなっていく音楽なんですよ。そういう意味じゃ、もちろん世の中の不幸なんてないほうがいいんだけど、そういうことによって自分らの音楽が強さを発揮するという側面はありますね。


●歌詞に関してですが、歌詞カードに書かれていない言葉、センテンスから始まる曲って多いじゃないですか。これもHIP HOP特有のことなんですか?


いや、僕的には、イントロであったりアウトロというのは作品から離れたフリーな場所としてあるので、歌詞として存在するものと、レコーディングでその場のノリで入れたフレーズもたくさんあるんで、そこはそのままの状態で録っておきたいと思って。歌詞は歌詞として練られて作ってあるけど、フリー部分も残してあるんです。


●じゃあライブの時は?


その時々で大きく変わってくると思います。変わっていく余地、余白なんです。


●トラックが変わってくる場合もありますよね。その自由さ感っていうのもHIP HOP特有?


そうです。その自由さはある意味HIP HOPの不自由さの裏返しっていうか、バンドだといくらでもアレンジ出来るし作り替えることもできるけど、HIP HOPの場合はオケをかけるだけなんで、ある意味ものすごく不自由じゃないですか。そのオケを変えることでライブのフレッシュ感を出すというか、そういう発想になっていくんで。不自由さの中にどうやって自由さを探していくかだし、オケを変えてお客とのクイズ形式の勝負になっていくというのもHIP HOPの面白いところだし、例えばO.N.Oの音じゃない全く違う音をはめ込んでみたらどう変わっていくかっていう面白さもとっておきたい。


●一夜性、即興性の余地をとっておきたいってことなんですかね。聴かせていただいて、BOSSさんというのは表現したいことありきで音楽を作っている人なんだな、と感じるんです。言葉としての表現をリリックとして表し、それを口にして発声するラッパーとしての表現もあると思うんですけど、BOSSさんの表現ってラッパーでなければならないんだろうかって思ったんですよね。


あぁ、それ良く言われるんですよ。例えばラッパーというより詩人と呼ばれることがあったり、ポエトリー・リーディングだね、って言われたり。でも僕にしてみれば全然そうは思わなくて、ラッパーだと思ってます。俺たちはいつマイクを取られるか分かんないようなところで、与えられた短いバースの中で、どれくらいお客をロックするかってところで戦ってきたんだよ。そんな真夜中のところから上がってきたんだよって意識が強い。詩の朗読会なんてハナっから興味ないよ、っていうのが正直なところですね。


●僕は、詩の朗読会というよりは、アメリカのビート文学の影響下においてポエトリー・リーディングをやっている佐野元春さんや仲井戸麗一さんを思い浮かべていたんですけどね(笑)


あぁそうか。そういう人達がいるのは分かるし、無論認めてもいます。でもね、僕はラップという不自由さが好きなんですよ。ラップって韻を踏まなきゃならないんですよ。端から見ればすごく面倒くさいんですよ、それって。それさえなければもっと広がれるのに、っていう表現なんですよ。詩の朗読ってもっと自由じゃないですか。制約はあるかもしれないけれどラップほどではない。僕は韻を踏むという制約の中でどれくらい自由を手にするか、どれくらいポエトリー・リーディングよりも上に行くか、そこがすごく好きなんですよ。


●また初歩的すぎて怒られそうな質問ですが、韻って踏まなきゃいけないもんなんですか?


もちろんルールなんですよ。HIP HOPって不自由さに縛られたアートなんですよ。不自由さの中でどうやって自由を手にするか、そこが俺はすごく好き。


●でもね、無理して韻を踏まなくてもいいんじゃないの?って思うことがあるんです。様式美じゃなくてただのダジャレになってしまっている場合もあるように思うんですが。


そうそう、そこで、そこの段階で終わるアーティストもたくさんいるんですよ。でもそこを飛び越えて、さっき言った佐野元春さんらよりも高みに行けることを目指したい。確かにHIP HOPが出てきた当初はダジャレで終わったものが多かったのは事実です。でも時間が経つにつれリリシズムと融合させられるラッパーが出てきてから、HIP HOPって面白くなってきたんです。HIP HOPって「シャレじゃん」って誤解されてしまいかねない危険もあるし、そこで終わってしまっているアーティストもたくさんいるのも事実です。でも俺は違うし、韻を踏みながらも深いところまでいけたアーティストもたくさんいるし、そこが面白いんですよね。


●英語の方が韻は踏みやすそう。


いや、日本語も変わらないですよ。日本語だから不利だと思ったことなんて一度もないですもん。一度もないです。考えたこともないです。自分達の言語でラップするから細部まで分かって共感もできるし、日本語の奥深さに改めて気付かされるし、その中で優劣もつけられるし、そういう時代になったなと思う。よく言っているんだけど、外人が、どこの国籍でもいいんだけど日本人じゃない人が「THA BLUE HERBってCOOLだな」って言った時に日本人が「でもオマエ、BOSSが何を言っているか分かってんの?」って言うのさ。「いや、何を言ってるか分かんないけどグレートだよ」とか言ったら、日本人のやつが「もしオマエがBOSSが何言ってるか全部分かったらぶっ飛ぶよ、死ぬよ(笑)」というくらいのアーティストでいたい、存在になりたいって、いつも言っている。そう腹をくくった。そう言いながら歌詞に英訳をつけてるんですけど(笑)、時々海外からメール来るんですよ、「リリック読んだけどすげえカッコイイ」って。それは嬉しいし「ありがとう!」って返すんだけど、やっぱり本当の意味で彼らの日常じゃないんですよ。オリジナルだとか、ドープだとか、新しい視点だとか言ってくれるのは嬉しいけれど、俺もお礼を言ってそれで終わりですね。最初は海外の奴にも一泡吹かせたいという気持ちがあって英訳を付けたんだけど、でもだんだん、それで勝負っていうよりは彼らにも感じてもらえる余地を残したいって位の感じで、海外でもライブをやりたいというような野望はそんなにないですね。逆に、一番大変な時なんだからやっぱり日本でしょ、って感じ。


●今回の作詞って国内ですか?


今回は全て国内でした。3枚目までは海外で書くことも多かったんですけど、今回は札幌と仙台と、あと北九州で書いていましたね。仙台はクラムボンのライブで歌わせてもらってそのまま残って書いた。北九州は、どこかでホテルに缶詰になって歌詞を書きたいなと思って探しして、あまり大きな街だと友達もたくさんいて集中できないような気がしたし、小さすぎる街でもちょっと困るし、その点北九州って、街の規模も探していたのに合うし、古い街で雰囲気もあるし、おもしろいんじゃねーかなと。シカゴみたいな街ですよね。


●生意気言わせていただきますが、このアルバムを聴くと、札幌人で良かったナって思うんです。見てる景色や知っている場所がたくさん出てくるし、あまりに身近で「俺たちの歌」って勝手に思えてくるようで。


あぁ嬉しいですネ。結局ニューヨークのラッパーもみんなそうなんですよ。身近な街と人のことしか歌っていないんですよ。そういう音楽なんだって気付いた時に、僕のHIP HOPって札幌の街の景色を歌っていればいいんだって思ったんですよ。だってね、確かにこの15年、東京から美味しそうな話を持ってくる人はいっぱいいた。でもここに住み続けることに意地になっているわけでもないんですよ。札幌が一番いいと思ってるんでね。よく言うんですけど、人口が100万人以上の街で、クオリティの高いCLUBがあってかつ明確な四季がある街って世界中探しても札幌しかないんですよ。インスピレーションに溢れている。まぁ個人的見解ですけどね(笑)。でも皆が思っているより札幌って当たり前にスゲエんだぜ!って思いはありますね。全く負い目がない。


●ライブの話を伺います。今回CLUBでもカウンターアクションでもなく、何故ライブハウスを会場に選んだんですか?


あのね、やっぱりリリースツアーっていうのは自分達にとって日常のライブとは違う、準備もちゃんとして、お客さんにとってもアルバムを聴き込んでやってくる、ある種節目のライブじゃないですか。CLUBにはCLUBならではの雰囲気があるけど、夜遅い時間帯でお酒の力も十分に借りて聴かせる部分も多いんですよ。それも一つの面白さなんだけど、ライブハウスっていうのは完全に音と照明と自分達のクオリティだけが問われるというか。だからそこで勝負出来るようにならないとHIP HOPっていつまでもCLUBの真夜中の音楽で終わってしまう。そうじゃなくてこれからもRSRに出ているアーティスト達と勝負していくんだったら、やっぱりそういう場所で、自分達で興行として成立するものを作れないとね、いつまでたってもHIP HOPのフィールドが狭いままになってしまう、そういう意識がすごく強い。ただね、今すごく挑戦しているのはね、まぁ最初の代表取締役的話になっちゃうんだけど(笑)、スタジオワークもCDを販売するための通販システムもできた。同時にタワレコとかCDショップの販売にも利益の面でちゃんとバランスというかメドがついているんだけど、今苦労しているのは、ライブを自分達で興行としてどうまわすかってことに挑戦しているっていうか。今回も日本中小屋を押さえてもらって回るんだけど、東京のようにすでにSOLD OUTになっているところもあるけど、まだまだってところもあるし、札幌だって正直僕が考えていたよりも苦戦しているし、そういうことをクリアしていけば、例えば「BRAHMAN」や「サカナクション」のようにクルーもいて常に興行として組めるような力が今欲しいんですよね。そのためにCLUBに呼ばれるんじゃなくて自分らで小屋を借りてやることに挑戦しているって感じですね。そういう力を手に入れるため勉強していますよね。まだまだチャレンジですよ。



THA BLUE HERB

 

ラッパーILL-BOSSTINO、トラックメイカーO.N.O、ライヴDJ DJ DYEの3人からなる一個小隊。1997年札幌で結成。以後も札幌を拠点に自ら運営するレーベルからリリースを重ねてきた。'98年に1st ALBUM「STILLING, STILL DREAMING」、2002年に2nd ALBUM「SELL OUR SOUL」を、'07年に3rd ALBUM「LIFE STORY」を発表。'04年には映画「HEAT」のサウンドトラックを手がけた他、シングル曲、メンバーそれぞれの客演及びソロ作品も多数。映像作品としては、ホーム北海道以外での最初のライヴ「演武」、結成以来8年間の道のりを凝縮した「THAT'S THE WAY HOPE GOES」、'08年秋に敢行されたツアーの模様を収録した「STRAIGHT DAYS」、そして活動第3期('07年~'10年)におけるライヴの最終完成型を求める最後の日々を収めた作品「PHASE 3.9」を発表している。


HIP HOPの精神性を堅持しながらも楽曲においては多種多様な音楽の要素を取り入れ、同時にあらゆるジャンルのアーティストと交流を持つ。巨大フェスから真夜中のクラブまで、47都道府県に渡り繰り広げられたライヴでは、1MC1DJの極限に挑む音と言葉のぶつかり合いから発する情熱が、各地の音楽好きを解放している。


そして、2012年4th ALBUM「TOTAL」と共にシーンに帰還。傷深き混迷極まる列島ステージ最前線へと再び出立!


公式ホームページ

www.tbhr.co.jp